札幌地方裁判所岩見沢支部 事件番号不詳 決定
主文
本件異議の申立てを棄却する。
理由
本件佐藤豊勝の検察官に対する供述調書(以下、検面調書という。)の提示命令は刑事訴訟法(以下、単に法という。)三〇〇条、刑事訴訟規則(以下、単に規則という。)一九二条にもとづき、当裁判所(裁判長を代表として行使される)の訴訟指揮権の行使として発せられたものでなんら法令に違背するものではない。
一本件提示命令発令に至る経緯
本件公判において、検察官申請の証人生出正、同田中吉哉に対する各尋問が開始されて以来、弁護人側はその主尋問開始前或いは主尋問終了直後の段階において、当該証人の検面調書の開示を求め、当裁判所はその都度開示の必要性、開示による弊害等一切の事情を勘案したうえ、適宜公判廷内外において検察官に対し開示の勧告を行つて来た。その結果(証人生出正の検面調書については、以後法三二一条一項二号書面として取調請求する意思がない旨主尋問終了段階で公判廷で明言し、弁護人側の反対尋問に入つた。)わずかに証人田中吉哉の検面調書に限り主尋問終了の段階でこれを閲覧に供したが、その際検察官は、現行法規上弁護人の調書開示要求に応ずべき明文の根拠がないこと、および最高裁判所昭和三四年一二月二六日、同三五年二月九日各第三小法廷の決定を理由に以後検察官としては取調請求する意思のない証拠はこれを開示する意思がないこと、当該検面調書の記載内容については、検察官の態度を信頼されたい旨開示に関する基本的態度を明らかにした(第一〇回公判)。
ところで第一一回公判期日に証人佐藤豊勝の主尋問が終了するや、弁護人らは、同証人の主尋問が予定の時間(三〇分)を超過して(一時間三〇分)詳細になされたこと、事件後(右証人の検面調書作成後)証言までに相当の日時が経過しており、記憶や表現の不正確が疑われる等の事情から、同人の証言とその検面調書との間に被告人らにとつて有利なくいちがいがあり、法三〇〇条所定の書面に該当すると思料されるとして、その証拠申請の前提として右調書の閲覧を求めた。そこで裁判長は、検察官に対し任意の開示を促がしたが、これに応じなかつたので、さらに弁護人側の申立の趣旨につき釈明を求めたうえ、本件提示命令が発せられたものである。
二本件提示命令は法三〇〇条により右検察官面前調書の証拠調の決定に必要であると認めて、一九二条にもとづき裁判所固有の訴訟指揮権の発動として行われたものである。もちろん、当裁判所の意図としては、提示にかかる調書につきその証拠調に関する意見を聴取するため、提示後これを弁護人側に閲覧させることを予定したものであるが、これは、もとより一般的な証拠開示の命令とは性質を異にするものであつて、検察官主張のように、証拠調と全く無関係に弁護人らに本件調書の閲覧請求権が存すること、または検察官にこの開示義務が存在することを認めたものではなく、また弁護人らに本件調書の閲覧を可能ならしめることのみを目的として提示命令の名をかりてこれを行つたものでもない。当裁判所は刑事手続法規によつてもつて立つている刑罰法令を適正かつ迅速に実現すべき要請から法三〇〇条、規則一九二条を右のように運用すべきものとしたのであつて、刑事手続法における当事者主義を単に、訴訟スポーツ観によつて解する見解は採りえないところである。
(一) 法三〇〇条は、法三二一条一項二号後段の要件に該当する検面調書について、「検察官は必ずその取調を請求しなければならない。」と定めている。右検面調書の内容が当該証人の供述よりも被告人にとつて不利益なものであるときは、検察官は原告官としての公訴維持の職責から右規定をまつまでもなくその取調を請求するであろう。これに対し、被告人にとつて有利と思われる調書は、公訴維持の上から無用のものとするか、若しくは三〇〇条の要件の存在を看過して検察官の手もとに留保され、証拠として公判廷に顕われないおそれがないとはいえない。法三〇〇条はまさにこのように被告人にとつて有利な調書をも公判廷に顕出せしめる機会を確保することが、被告人の利益保護と実体的真実の発見という刑事訴訟の理念に合致するものとしてとくに明文をもつて、検察官にその取調請求の義務を課したものと解される。
元来、形式的な当事者主義に徹するならば、被告官たる検察官にこのような義務を課する理由はないであろう。しかし、現行刑訴法規がそのような形式的かつ徹底した訴訟スポーツ観を背後にひかえた当事者主義を採用していないことは明らかであり、当事者の実質的公平、訴訟手続の適正と実体的正義の要請から裁判所の訴訟指揮権、職権証拠調、被告人質問権等随所に訴訟の主体としての裁判所の職権行使の規定がおかれている。いいかえれば、現行訴訟法規はこのように当事者主義、職権主義両訴訟構造の交錯の中に被告人の利益保護と真実発見、裁判の適正という刑事訴訟の理念を実現しようとしているものである。このことは、伝聞証拠の排除という当事者主義に由来する法則を採用しながら、法三〇〇条においては、一定の厳格な要件のもとにではあれ、むしろ捜査段階の調書の取調請求を義務づけていること自体にも表われている。のみならず、検察官は原告官として被告人に不利益な証拠を収集し公訴維持に努力すると同時に、「公益の代表者として訴訟において裁判所をして真実を発見させるため被告人に有利な証拠をも法廷に顕出することを怠つてはならない」国法上の職責を有する(前掲昭和三四年一二月二六日最高裁第三小法廷決定、なお検察庁法四条)のである。法三〇〇条の解釈運用についてはこのような刑事手続における被告人保護と真実発見の理念、検察官の公益性を忘れてはならない。
(二) 右述のように主として被告人に有利な証拠を法廷に顕出せしめることを目的とする法三〇〇条の趣旨に照らせば、被告人にとつて不利益な調書の取調請求については、もつぱら検察官の判断に委ねられていると解して差支えない(もつとも、この場合にもその法三〇〇条の要件該当の有無と証拠として採用するかどうかの判断は最終的には裁判所が行なうものであることはいうまでもない。)。本件において、検察官が主尋問終了段階において佐藤証人の検面調書を法三二一条一項二号後段の書面として取調請求する意思のなかつたことは公判の経過からみて明らかであり、「佐藤証人の証言内容がその検面調書と相違するか実質的に異るところがないと判断したからこそ検面調書の特信性等に関する尋問を検察官は行なつていない。」(異議理由書第一、一、4、第二、二)と主張するのは、調書における被告人に不利益な相反性、くいちがいに関する限り正当である。
しかし、証言と比べ被告人に有利な内容をもつ法三〇〇条該当書面の場合は如何。この場合にも前記検察官の公益性からみて、第一次的には検察官に法三〇〇条該当性、すなわち、取調請求義務存否の判断権が委ねられていることはいうまでもないが、右公益性と法三〇〇条所定の義務性のゆえに、当然にかつ最終的にも右の判断が検察官に委ねられており、弁護人側や裁判所がつんぼ桟敷におかれたまま、検察官が法三〇〇条に該当しないと判断(主張)すればもはやこれを法廷に顕出する途がないものとはとうてい考えられない。もしこのような解釈が許されるなら、刑事手続法に法三〇〇条がおかれた法意は全く没却されるに至るであろう。まさに、このような場合にこそ、訴訟の主宰者たる裁判所は被告人に有利と思われる調書の法三〇〇条の要件該当性を進んで判断し、職権をもつて、これを法廷に顕出すべき職責を有するものと解すべきである。
以上を要するに、法三〇〇条の要件該当性の判断は、いかなる場合にも最終的には裁判所に委ねられているのであり、とくにそれが被告人に有利と思われる検面調書に関する場合は、当事者からの取調請求の適否を決するという消極的な判断にとどまらず、時宜に応じ、裁判所の職権により、または職権の発動を促す弁護人側の請求がある限り、すすんで当該調書を法廷に提示させ、右要件の存否を判断しうるものと解しなければならない。
(三) ところで弁護人らは、前記の事情から本件検面調書が被告人に有利に法三〇〇条の要件に該当する可能性があると主張し、その取調請求をする前提として主尋問終了直後本件調書の閲覧を求めたものであるが、この点につき検察官は、法三〇〇条の要件該当の事由は当該証人に対する尋問自体の中で明らかにすべきであるのに、弁護人らが反対尋問を尽すことなく、法三〇〇条該当の具体的事情をなんら明らかにせずに調書の閲覧を求めたのはそれ自体不当であり、(異議理由書第一、一)、これを容れた本件提示命令は、いまだ右調書の取調を決定するについて必要な段階に至つていないのに発せられた違法な命令であると主張する(異議理由書第二)。
もとより弁護人側が独自の防禦活動によつて被告人に有利な証拠を収集し、それをふまえて適切な反対尋問を行ない証言の信用性を弾劾し、さらにすすんで当該証人の検面調書の法三〇〇条の要件該当事由を明らかにし、その段階に至つてはじめて検察官の右調書取調請求義務の履行を促がし、或いは自ら取調請求をすることは弁護人の訴訟活動として一つの理想であることは疑いない。しかし、いわゆる事前の開示が行なわれておらず、したがつて、当該調書の内容にどのような供述記載があるか明らかでなく、しかも、敵対証人たる立場にある本件佐藤証人の検面調書について、「実質的」なくいちがいが存する等法三〇〇条の要件該当の事由を反対尋問によつて明らかにせよというのは、弁護人側に困難を強いるものであるばかりでなく、証人自身検察官の面前においてどのような供述をしてきたかを想起できないことのあるのはままみられるところであるから、ときには不可能を強いることにもなりかねない。法三〇〇条の要件の存否は、当該検面調書を閲読することにより、極めて容易に判明するものであつて、検察官の面前においてどのようなことを供述したかを忘却した証人に反対尋問をいくらしたところで、その要件の存否が判明するものではないであろう。検察官の右のような主張は法三〇〇条の要件該当性の判断が終局的にも検察官に委ねられているとの主張と同じく、被告人にとり有利な証拠を法廷に顕出する機会を確保しようとする法三〇〇条の趣旨を没却し、かつ、訴訟経済をも無視したものといわざるを得ない。
弁護人らが本件被告事件において証拠の事前開示を求める態度を一貫して示していることは前述のとおりであるけれども、本件の申立てはそのような一般的な開示要求とは趣きを異にし、いまだ確定的な証拠調の請求とはいえないにしても、それを前提にした閲覧請求であつて、もとより訴訟遅延、証人の挙足とり等不当な目的から出た申立てとは認められないことは被告人に有利な証拠となる可能性のある法三〇〇条の検面調書取調の要否に関する申立である。検察官の確信、釈明にもかかわらず、事件後右証人の証言までに二年三カ月が経過していること、主尋問予定時間をはかるかに超過したこと、すでに取調ずみの検察官申請の証人(職業安定所職員たる太田誠一、生出正、田中吉哉)の供述内容と比較しても、主尋問において被告人らに有利と解しえないではない趣旨の証言を行なつたこと等の事情からみて、本件調書に被告人らにとつてより有利なくいちがいが存する可能性があることを客観的に否定し去ることはできない。検察官としては、法三〇〇条の前記法意に想いを至し、その主張に確信があるならば、すすんで右調書を弁護人側の閲覧に供して法三〇〇条の要件該当性をテストさせ、ひいては訴訟の円滑迅速な運営に協力することこそ公益代表者としての公正と信頼とをかちうるゆえんであろう。
(四) 本件検面調書の提示命令は、裁判所に対する提示後弁護人らに閲覧させて法三〇〇条の要件該当性、すなわち、その証拠調の要否に関する意見聴取を行なうことを予定している。その措置の適法かつ妥と当なことは後記のおりであるが、このように(結果において)弁護人らに閲覧させることに、いつたいどのような弊害が予想されるであろう。この点、検察官自身異議理由においてなんら主張していないが、一般的な事前の証拠開示の場合とは異なり、主尋問終了段階である本件では、証人威迫、不当な反証の作出等の罪証の隠滅、裁判所の予断等の具体的弊害はほとんどこれを考えることができない。調書を閲覧することによつて証人に対する挙足とり等不当な反対尋問が行なわれるおそれを全く否定することはできないとしても、これは異議権の行使、裁判所の訴訟指揮等によつて十分防止しうる事態である。かえつて、従来の弁護人側の反対尋問が(証拠の閲覧が行なわれていないことを一つの理由として)必ずしも核心を衝くことなくかなりの長時間を要した公判の経過に照らし、少くとも主尋問終了後調書閲覧の機会を得ることにより、より的確で実質的な反対尋問を期待しうるのであつて、訴訟経済と被告人側の反対尋問権の実質的保障という大きい利益が得られるであろう。
(五) 検察官は、規則一九二条の提示命令は当事者の証拠申請を前提とするものであると主張する(異議理由書第二、一)。同条の提示命令が証拠調の決定と全く無関係になしえないことはいうまでもない(予断排除)けれども、これが当事者の確定的な証拠申請があることを要件にしているとは解せられない。本件で弁護人らは、前述のように未確定的ながら法三〇〇条の要件該当の調書の取調を請求するために閲覧を求めたものである。当裁判所は、弁護人らの右主張に照らし、この段階で法三〇〇条の要件該当の可能性のある本件調書を法廷に顕出させ、場合によつて弁護人(もしくは検察官)の確定的な証拠申請をまち、または職権により、本件検面調書の法三〇〇条の要件該当性の判断、すなわち、証拠調の決定をするために必要があると認めて本件提示命令を発したものであるから、規則一九二条に照らしても何ら違法はない。
なお、規則一九二条の提示命令は、本来裁判所が証拠調の決定をするについて証拠能力の有無を判断するために行なわれるものであるから、これによつて当事者に閲覧させることは許されないとの批判も一応ありえよう。しかし、提示命令が証拠調の決定をする必要から発せられる以上、当事者主義の建前から、証拠調に関する決定をする前に当事者の意見を聴取すべき定め(規則一九〇条)からいつても、またとくに本件では被告人に有利な可能性のある調書の法三〇〇条の要件該当性を判断するという目的からいつても、まずもつて当事者たる弁護人側にこれを検討させ、その意見を聴くことが最も適切、かつ妥当で制度の趣旨にそうものと考える。そのためには弁護人側に調書を閲覧させることが不可欠の前提であることはいうまでもない(当事者の証拠申請によつて提示命令が発せられる場合は、法二九九条によつて当然相手方に閲覧の機会が与えられるからとくに提示命令と閲覧との関係が問題にならないのにすぎない。)。
これを要するに本件検面調書の提示命令は、訴訟における証拠採否の決定と同様裁判所に委ねられた裁量の範囲に属する事柄というべきである。
三検察官は本件提示命令が(1)最高裁判所昭和三四年一二月二六日、(2)同三五年二月九日各第三小法廷決定に違反するというが、しかし、右両決定ともいわゆる証拠開示義務、閲覧請求権の存否に直接関係する事案である点、法三二一条一項二号後段の検面調書についての取調請求義務発生の要件について判示するのみで、その判断権者については直接ふれていない点、(1)の決定は、いわゆる包括的事前開示に関する事案である点、さらに(2)の決定は法四三三条一項の特別抗告の要件を欠き不適法として棄却された事案であつて、検察官採用の判示部分は傍論にすぎない点等において、本件提示命令とは事案を全く異にする。したがつて、右両決定との抵触の問題は生じえない。
四以上説示のとおり本件異議の申立てはその理由がないから、刑訴法三〇九条三項に則り棄却を免れない。
五なお、法三〇〇条の趣旨を十分生かすためには、遅くとも主尋問開始前の適当な時期に当該証人の検面調書を閲覧させることが望ましいことはいうまでもない。現行法上証拠の事前開示に関する一般的な規定は存在しないけれども、明文の規定がなければおよそ開示の義務もなく、開示要求や勧告にも応ずる必要はないといつたかたくなな手続法規の解釈態度にはとうてい左たんしえない。従来の本件公判の経過からみて、主尋問開始前の開示による弊害は、むしろ一般的には認められないのであり、かえつて訴訟の円滑迅速な運営ひいては適正な裁判に資するところが大きいであろう。検察官において、少くとも各調書ごとにその開示によつて生ずる弊害と利益を具体的に衡量したうえ開示すべきか否かを決するといつた法廷のよき慣行の樹立に協力されることをこの際希望したい。(浜 秀和 梅原成昭 荒井史男)